お知らせ
第57回国際化学オリンピック アラブ首長国連邦大会
日本代表生徒インタビュー

メダルを胸に記念撮影。左から早田くん、井戸沼くん、天野くん、渡邉くん。
オーストラリア代表からもらった黒のポロシャツ。頭の上にはお土産のラクダ。
【参加者】
天野 春翔(あまの・はると)さん 麻布高等学校(東京都)3年
井戸沼 悠成(いどぬま・ゆうせい)さん 筑波大学附属駒場高等学校(東京都)3年
早田 茂(そうだ・しげる)さん 三田国際科学学園高等学校(東京都)3年
渡邉 周平(わたなべ・しゅうへい)さん 奈良工業高等専門学校(奈良県)3年
取材:国際化学オリンピック日本委員会 池田亜希子、古徳順子
執筆:サイエンスライター 池田亜希子
第57回国際化学オリンピックが、2025年7月5日~14日の日程で、アラブ首長国連邦のドバイで開催され、90の国や地域などの代表生徒354名が化学の知識や論理的思考力、実験操作などを競い合いました。日本からも4名が参加し、渡邉さんが金メダル、天野さん、井戸沼さん、早田さんがそれぞれ銀メダルという優秀な成績を収めました(*)。大会後に集まっていただき、初の試みもあったというドバイ大会の様子や化学を好きになったきっかけなどを聞きしました。また、大会での写真もたくさん提供してもらいましたので、是非ご覧ください。
*成績上位の約1割に金メダル、それに続く約2割に銀メダル、さらに約3割に銅メダルが授与される。

閉会式 オーストラリアチームと
(渡邉くん提供)
【目次】
- ・いつの間にか好きになっていた化学
- ・挫けそうになった代表への道のり
- ・トラブルも乗り越え世界の舞台で力を出し切る
- ・世界の仲間と知り合ったことが何よりの収穫
- ・後輩たちへ:好きなことに一所懸命になって欲しい
いつの間にか好きになっていた化学
-第57回国際化学オリンピックへの出場とメダル獲得、おめでとうございます!まずは、この大会に出場したきっかけを教えてください。

左から渡邉くん、天野くん
天野:中高一貫校に通っていて、中学生の頃から化学部に所属しています。先輩から部活の慣例で「国際化学オリンピックの国内選考である化学グランプリに出るように」と言われたんです。
井戸沼:小学生の頃から理科が好きなんですが、6年生の終わりにコロナ禍で家にいることが増えて、自分で何か科学のことをしたいと思うようになりました。それで高校化学を学び始めたんです。得られた知識をツイッター(現在のX)でつぶやいていたら、関西に住む中学3年生と交流するようになって、その人から化学グランプリのことを教えてもらったのがきっかけです。
早田:僕は、化学グランプリのことを知ったこと自体が、ミラクルだったと思っています。高校1年生の冬に川崎市にある光触媒ミュージアムを訪れました。そこで質問をしたら「詳しい人を呼びますね」と言われ、隣にある研究所から研究者の方が来てくれたんです。その人から、「君、これ出てみない」と渡されたのが、化学グランプリのチラシでした。そこから高校化学の勉強を急いで終わらせ、高校2年生で出場しました。
渡邉:僕の場合は、中学校の理科の先生が化学実験をたくさんやらせてくれたのがきっかけで、化学に興味を持つようになりました。「化学を極めたい!」と思って奈良高専の物質化学工学科に進学しました。高専の学生はそれぞれ興味のあるコンテストなどに参加するので、化学グランプリはそれほど知られていません。そういうこともあって「僕がどうして化学グランプリを知ったのか」をよく聞かれるんですが、実はあまりよく覚えていないんです(笑)。ただ、問題を見て「面白そうだ」と思ったのは覚えています。
-皆さん、「化学が好きだから、国際化学オリンピックの国内選考である化学グランプリに出ようと思った」ということですが、そもそもどうして科学を好きになったか覚えていますか?
井戸沼:小さい頃に天体の動画を見るのが好きで、両親がプラネタリウムに連れて行ってくれたのが、“科学”に興味を持った最初のきっかけだと思います。ただ、最近、自分は科学に限らず、何か新しい知識を得ることが好きなんだってことに気付きました。新しいものに接すると、世界の見え方が変わりますよね!

左から早田くん、井戸沼くん
天野:僕の両親は、美術館やコンサートなどいろいろな場所に連れて行ってくれました。その中で科学館が一番楽しかったんです。最初は、「電気が流れると光るもの」を見て「すごい!!」って思ったんじゃないかと思います。今は、星のように自分と比べてものすごく大きなスケールのものから、細胞のような小さなものまでを扱うところが科学の魅力だと思っています。
渡邉:僕も地元岐阜県の大垣城に化石を見に行ったり、科学館でポップコーンやペットボトルロケットを作ったりしたことがものすごく楽しかった思い出ですね。今では、自分が得た科学の知識で面白いものを両親に話したりもしています。
早田:人に教えるのは、自分の勉強になるからいいよね。僕は、両親に一緒に勉強しないかと誘ったことがあるんですが、それは断られてしまいました(笑)。僕も3人と同じで、これまで割と自分の好きなことをやらせてもらっています。博物館やプラネタリウムなどに連れて行ってもらって、いろいろな経験をする中で、科学や数学に興味を持つようになりました。
―皆さんが興味・関心を持った世界を広げていけるように、ご両親が応援して下さっているんですね!
挫けそうになった代表への道のり
-国内の一次選考には3000人ほどが参加しますから、代表になるのは大変でしたね。
渡邉:高専1年生で初めてチャレンジした時にはぜんぜん解けなくて…「これじゃダメだな」と思って、「マクマリー有機化学」を読んで対策しました。
天野:大学1、2年生が学ぶ有機化学の専門書だよね?
渡邉:そうなんだけれど、この手の専門書としては割ととっつきやすいんだ。僕の場合、周りに一緒に出場する仲間がいなかったから、勉強にはけっこう苦労したんです。でもこの対策の甲斐があって、高専2年生の夏に代表候補になることができました。井戸沼は、化学グランプリでこれまで3回も金賞をとって代表候補にもなっているんだったよね。
井戸沼:化学グランプリには中学1年生から出場しているからね。初参加の時は、知識が足りなくて一次選考で終わってしまったけれど、中学2年生からは、毎年代表候補の最終選考までいきました。ところが中学2年生、3年生、そして高校1年生の3月にも代表になることができなくて…一度化学から完全に離れ物理の勉強を始めました。化学には物理的な要素があるからか、結果的に化学の力も伸び、化学と物理の両方のオリンピック代表になることができました。
(胸の3つのメダルは、国際化学オリンピック、国際物理オリンピック、アジア物理オリンピックで獲得)
天野:井戸沼は代表に決まった時、めちゃくちゃ嬉しそうだったよね。僕も中学1年生の頃から、化学グランプリに出ています。最初は先輩に言われたからという理由でしたが、学年が上がるにつれて「化学研究がしたい」という気持ちが芽生えて、そのために化学の知識を高めたいと思うようになりました。その時に「代表候補になるともらえる化学の教科書が欲しいなぁ」と思って本格的に取り組むようになったんです。ところが、高校1年生の時には一次選考すら通過できなくて…原因は勉強量が足りていなかったからだとわかっているのに、ものすごく落ち込んで「もういいや」という気持ちになりました。でも、高校2年生で代表候補になることができ、「これはしっかり頑張ろう」と思ったんです。おかげでこうして代表になることができました。
早田:僕は理科全般が好きで、特に化学が好きというわけではないんです。中学時代は、数学が好きでたくさん勉強しました。高校生になって、今度は理科に取り組もうと決めて物理や化学を学んでいたんですが、せっかく勉強しても高校1、2年生では模試などでも物理や化学の力を試す機会がないんです。それで化学グランプリと物理チャレンジの両方に出ることにしたのですが、得意だと思っていた物理で代表になれなくて、化学の代表になれたのには驚きました。得意・不得意は自分が思っているのとは少し違うのかもしれません。
-それぞれに足りない部分に向き合いながら、ここまで頑張ってこられたってことがわかりました。

各国代表と交換した「アッと驚く記念品」の数々
トラブルも乗り越え世界の舞台で力を出し切る
―2025年のオリンピックはドバイ開催でしたが、滞在環境や試験以外でオリンピックの目的の1つである各国代表との交流はいかがでしたか?
早田:フライトで疲れているところにホテルのチェックインで待たされたのがちょっと大変だったです。でも滞在したホテルの環境はとてもよかったよね。オイルマネーのおかげかな。
天野:過去の代表に聞いてみても、今回のホテルはかなり良かったみたいです。暑い国でしたが、ホテルがショッピングモールと直結していたので、とても便利で快適でした。


チェックインに待ちくたびれた各国代表とようやくたどり着いたホテルの部屋(天野くん提供)
井戸沼:試験後には日本から同行してくれていたメンターが採点交渉をしてくれたのですが、それがすべて終わった後に、メンターと一緒にそのモールでトランポリンをしました。
天野:すごく頑張って下さったからね。あの時は、「全部終わった~、遊ぶぞ~」って感じだったよね。僕は、交流行事の1つで、砂漠に行ってラクダに乗れるのを楽しみにしていたんだけどなぁ…
渡邉:砂漠に行く予定が変更されて、代わりに輪のような形をした未来博物館に行ったんだよね。ほかにはドバイのルーブル美術館にも行ったね。


別世界を感じるブルジュ・ハリファとグランドモスクを見学(渡邉くん提供)
早田:ブルジュ・ハリファも見たけれど建物は日本とぜんぜん違うし、砂漠の砂が舞って空に少しモヤがかかっていて、地球じゃない星に来たみたいだと思ったよ。
渡邉:各国代表との交流では、ホテルでオーストラリア代表と一緒に勉強ができたのがよかったよね。
井戸沼:小さなゼミをやったんだったね。僕は中国語を勉強しているから、中国代表といろいろ話したんだ。将来のことをどう考えているかを聞くことができて刺激を受けたな。
早田:すべての準備問題を解いたノートを持っていて、「何でも教えてあげる」って言っている人もいたよね。すごい努力家で、「こういう人が評価されるべきだ」と思ったな。

ホテルのカフェテリアで他国の代表と交流(早田くん提供)
―国際化学オリンピックならではの貴重な体験がいろいろできたようですね。実験課題と理論試験(筆記)はどうでしたか?

渡邉:例年、実験課題は大学の実験室で行われるのですが、今回は日本でいったら東京ビッグサイトのような展示施設で実施されました。そのため、「無機錯体の合成」と「アミノ酸の分析」と「未知試料の同定」といったどれもドラフトを使わない実験でした。僕は、有機合成がやりたかったので、ちょっと残念でした。
井戸沼:実験課題は問題の量が多くて、時間が足りませんでした。難しいというよりも、実験操作に慣れているかが問われた感じでした。
天野:今回、初めて問題が紙ではなくディスプレイで表示されたんですが、実験課題の最初でサーバーがパンクして表示されないトラブルがありました。それには皆さんが誠実に対応して下さったので良かったのですが、僕は少し実験に手間取ってしまって、その後の設問に答える時間が少し足りなくなってしまいました。
早田:そうだね。僕も、「オリンピックは試験だけが目的ではないし、こういうこともあるよね」って考えて、平常心を保つように努めたよ。
-メンタルが強くなったでしょうか。試験問題のディスプレイ表示は慣れていないから大変だったのでは?
井戸沼:僕はディスプレイには慣れている方だと思うんですが、それでも5時間の試験中ずっとディスプレイを見続けるのはちょっと疲れました。
渡邉:実験机に問題用紙が散らからなかったので、僕は実験の時は良いなと思いました。理論試験では、ディスプレイの調子も良くて、とてもスムーズでした。ただ、試験の内容は生物と有機化学を絡めたような問題が多く出されて、ここ最近の問題と比べて難しかったよね。
天野:あれはほぼ生物だったね。ただ幸運なことに、日本での最初の合宿でOBの方が出した問題だったんです。思い出すのには少し時間がかかりましたが、一度触れていたことで非常に助けられました。
-そんなこともあったんですか!?国内合宿にもしっかり取り組むことが大事なんですね。


メンターたちと再会を喜ぶリユニオンパーティー(左:渡邉くん提供、右:早田くん提供)
世界の仲間と知り合ったことが何よりの収穫
-国内の一次選考に始まって、オリンピックが終わるまでさまざまな経験をされたと思いますが、振り返ってみてどうですか?
天野:僕は、この大会をこれまで化学に力を入れてきたことの集大成だと思っていて、海外で力を出し切って帰ってきたことに充実感を覚えています。90の国・地域というものすごく多様な人たちの価値観に触れ、自分はどうなんだろうと考えるきっかけももらいました。
井戸沼:自分と似たようなことをしている違う国の人たちが、普段何を考えていて何をしているかを知る機会はめったにありません。今回、彼らと過ごす貴重な時間を持てたこと、特に、進路の話ができたことが僕にとってはよかったです。


オーストラリアチームとの交流。屋内遊園地で遊んだり(左)、日本チームが法被(はっぴ)を貸して記念撮影をしたり(井戸沼くん提供)
―やっぱり、世界の仲間と知り合えたことが印象に残っていますね。
渡邉:僕も、同世代のコミュニティと化学オリンピックという場で知り合って、日常生活のことを含めていろいろな話ができたのがよかったです。勉強面では、教科書をもらってから数カ月で試験といったハードな経験を通して、「自分でどんどん学ぶ習慣」がつきました。
早田:僕は、正直、この経験で人生が変わりました。光触媒ミュージアムでチラシをもらわなかったら化学オリンピックの存在すら知らずに一生を終えていたかもしれないんです。もし、そうだったとしたら、今でも「自称理科が好きな人」という感じだったと思っています。「自分はこういうことができるんだ」という証がもらえたのがすごく嬉しいです。


閉会式 イギリスチームと記念撮影(左)。お世話になった現地ガイドさん(渡邉くん提供)
-「将来は何になりたいか」を考えていたりしますか?
井戸沼:生体物理医学といって、医学の中でも物理や化学といった理学系の知識と、工学系の知識を応用する学問であれば、自分が今まで勉強してきたすべてを生かせると思っています。もう1つは、材料工学分野で半導体やバイオ材料などを開発することです。どちらにしても、いろんな分野の融合領域をやりたいんです。
渡邉:それほど将来のことを考えているわけではないんですが…まずは高専に5年生まで通って、インターンや卒業研究といった高専でできるすべての経験を積みたいと思っています。その後は、大学に編入して、大好きな化学を続けたいです。新規材料が面白そうだなと思っていて、研究者になりたいです。
天野:僕は、将来のことをあまり決めたくない性分なので、できればその時の気分にしたがって生きていきたいと思っています。今のところは、大学の研究室と共同で行っている超分子材料の研究がめちゃくちゃ面白いので、もっと化学の勉強をして将来は材料の研究者になりたいということにしておきます。
早田:確かに、材料は面白いよね。僕は、競技化学を終えたので、これからは“好きな化学”をやろうと思っています。今回勉強したことや、いろいろな人たちと仲良くなったことをタネにして、何か大きなことに挑戦できないかを探っているところです。今頑張って、将来は働かずに生きていくのが理想なんです。
-これから何を学んで、何を専門としていくのか…いろいろな可能性がありますから、楽しみにさせてもらいます。
後輩たちへ:好きなことに一所懸命になって欲しい
-勉強の仕方も含めて、ぜひ後輩たちへのメッセージをお願いします。
井戸沼:今回たくさんの人と知り合う中で、共通の話題があるといいんだと強く感じました。サイエンスだけでなく、音楽でも、最近の流行でも、とにかくいろんなことにアンテナを張っておくのがいいと思います。実践的なアドバイスとしては、数学は何をするのにも鍵になるので早いうちから勉強しておくことをお勧めします。それから、僕の学校は化学に限らず、科学オリンピックの出場者が多いんです。分野を越えて協力して、この経験を学校の後輩たちに伝えていきたいとも考えています。
早田:僕も、数学を勉強していてよかったと思うことが多かったです。別に学問である必要はないですが、興味があることにはとりあえず挑戦してみることが、すべての人にとって大事だと思っています。自分が活躍できそうな場を得るためには、僕が光触媒ミュージアムで偶然にチラシをもらったように、そのための情報が集まりそうな場所に自分の身を置かなくてはいけないと思っています。
渡邉:「自分には無理そう」などと思わず、まずはもっといろいろな人に化学グランプリの一次選考に挑戦して欲しいと思っています。また、代表候補になると根詰めて勉強しなくてはいけない時期がありますが、上手く息抜きをしながら“化学を好き”な気持ちを失わずに乗り切って欲しいです。勉強には体力が必要なのでスポーツはお勧めです。そして最終的にオリンピックに行ったら、相手が何を言っているかわからなくてもどんどんコミュニケーションをとって欲しいです。案外、何回も聴いても笑顔で返してくれますから。
-もっとたくさんの化学好きの人にオリンピックを目指してもらって、皆さんのような経験をしてもらいたいですよね。天野さんはどうですか?
天野:何であれ、「興味があるうちはそれを極める」ことが大事だと常々思っています。もし、興味のあることがないなら、遊んだほうがいいです。そうしているうちに、何か見つかります。化学オリンピックに出ることはスゴイことですが、その反面、それがすべてではないことをわかっていることも大切です。国際化学オリンピックを自分のステップアップのためのチャンスにして下さい!
